らくだ日記       佐怒賀正美
【作品39】
2009/03/30 (第473回)

 大江山と言うと、ふつうは二つのことが思い出されよう。一つは、小倉百人一首の「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)という和歌。逆に解釈すれば、この山を越えれば天の橋立に辿りつくとも言える。もう一つは、大江山の鬼退治伝説。一番有名なのが酒呑童子であろうか。読み物としては面白いが、鬼にとっては残酷な話である。ちなみに、大江山は単峰ではなく連山で、最高峰が833メートル。山深い地形である。
 さて、上掲の句は、おそらくはこの二つの故事とは無関係であろう。句意は、大江山の冬の颪もそろそろ吹いてくる頃だが、それには少々間(ま)がある。そんな土地である加悦に柿がたわわに生っている、とでもいうものか。颪に間ある時期であれば、柿も赤みを加えている頃だ。柿の生命力が、まもなく訪れる颪に吹きさらされる。その直前の命の色の輝きは、生命の覚悟の輝きでもあろう。
 もう一つこの句のポイントは「加悦」という地名である。行政上は2006年に、加悦町は、与謝郡岩滝町、野田川町と合併し与謝野町となってしまうが、加悦とは蕪村の母の郷里であると言われている。加悦谷とは大江山の西ふところにあたる。一句を独立して解釈する場合に、この蕪村の「加悦」をどこまで汲み取ったらよいかは微妙なところだ。ただ、ひとたび蕪村の母の里と分かってしまうと、この「加悦」から目が離せなくなる。
 蕪村の母の郷里であることを加味した解釈をしてみると、この「柿」は当時貧しかった丹後を離れて摂津に出稼ぎに行った母の最後に目にした風景のようにも、幼少から心の中に刻み込まれていた風景のようにも、さらに母の郷里の話から蕪村が心に描いていた情景の核心のようにも、さまざまな広がりが見えてくるような気になる。八束は蕪村を調べているうちに、蕪村の母のことを知りたくなって足を運んだのであろう。

     
 











     
   
   
   
   
     
『春風琴』平成9年作 
(C)2007 Masami Sanuka
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