らくだ日記       佐怒賀正美
【作品40】
2009/03/31 (第474回)

 「盟友 鈴木詮子逝く」と前書がある。十四句ほど追悼の作を発表しているのも見ても、鈴木詮子が八束にとっていかに大事な存在であったか分かるだろう。俳誌「秋」を創刊した頃から、詮子は八束に師事し、八束の作品の評論に力を注いだ。
 この句は、盟友の死を悼みながら、詮子の一生は邯鄲の夢であったとも、空を飛び去ってゆく火のようでもあった、と言うのである。こう散文的に書いてしまうと何事もなく読み過ごされそうだが、いまいちど俳句と向き合いながらその意味をイメージ化すると、途端にシュールな風景が立ち現れる。この十七文字の中に、現実の風景は一つもないのだ。前半は「邯鄲の夢」という故事の引用、後半は現実的には見えない「空をゆく火」を書き出しただけの句だ。しかしながら、前半の「邯鄲の夢」から醒めた目には、不可視の「空をゆく火」も自然に見えてくるのではなかろうか。この「邯鄲」は故事だからもちろん季語にはならない。「空をゆく火」ももちろん季語ではない。明らかに無季の俳句が成立してしまったのだ。無論、八束は無季俳句の主張者ではない。が、自然に出来上がってしまった無季の世界を目の前にしてまで、有季に拘ることもなかった。
 「空をゆく火」は鈴木詮子が戦時中ゼロ戦のパイロットだったことを踏まえての措辞とも思えるが、そのことは俳句の一行の中にどこにも触れられていない。だから、この読みをあえて私はとらない。
 夢を追いながらはかなく過ぎてしまった一生、魂になってさらに自在な「空をゆく火」になってゆく死後。この二つをダイナミックに照らし出した句として考えてみたいと思っている。

     
 












     
   
   
   
   
     
『春風琴』平成9年作 
(C)2007 Masami Sanuka
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