らくだ日記       佐怒賀正美
【作品41】
2009/04/01 (第475回)

 鈴木詮子を悼んだ句をここに写しておこう。前書は省く。

  邯鄲の夢とも空をゆく火とも
  秋の闇一夜ねむりて詮子逝く
  邯鄲の啼くうす闇に魂かへる
  かりがねもともがらも泣く酒と泣く
  荒川と銀河をわたり魂かへる
  戦死ともみゆ生きざまの秋日燦
  君のため秋日炎えよとひた祈る
  酒癖のあとのトラジよ燗熱し
  エイヘイヨウエイヘイヨウときこゆ秋
  秋風や音なく去りし霊柩車
  君の死にまむかへば詩(うた)生きる秋
  身罷りてしまへば遠し秋の友
  招く友ありとて寝ねむ身にしむや
  秋のうた十ばかり捧げ空に泣かむ

 戦争で帰還した後は、やけっぱちに企業戦死を望むかのように生き急いで、この世を去った詮子。年長の八束にとってはいたたまれない思いだっただろう。詮子が酒に溺れて「トラジ」を歌っていたのは、多感な青春の日を兵隊として朝鮮に過ごさざるを得なかったからだ。「エイヘイヨウエイヘイヨウ」の語調は深い憂愁を夢のように誘い出そうとする呪詛のようだ。詮子さんの酔歌にはそのような悲しさがあった。
 さて、上掲の句は、亡き友人の死に際して、詩が生きてくるというのだ。人生の祝福よりも悲傷を読む方がいきいきしてくるというのは、詩の原罪のようなものだ。ふつうの詩人はその背徳的なことをうすうす感じながらも、禁忌のように口を閉ざしている。八束だってふだんはそんなことを表に出すはずがない。やはり、俳誌「秋」創刊以来の友人で八束の最大の理解者であった鈴木詮子という亡くしたときの動揺が隠せなかったのだろう。秋日に燦々としていればいるほど、詩というものに心血を注いでいる自分が恨めしくなってくるのだろう。

     
 



















     
   
   
   
   
     
『春風琴』平成9年作 
(C)2007 Masami Sanuka
前へ 次へ  今日のらくだ日記      HOME