わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第53回 2012/8/21


《原句》①

  ふんわりと神楽舞ふ巫女堂涼し 

 単に〈神楽〉といえば冬に行われるものを指します。古代以来の神事芸能で、本格的な姿をとどめているのが十二月宮中賢所で催される御神楽(みかぐら)。宮廷外の各地神社で行われる場合は総称して里神楽ということになりますが、宮崎県高千穂の高千穂神楽や出雲佐太神社の神楽などは特に有名です。
 これらとは別に、夏の神事に奏されるのが〈夏神楽〉。名越(夏越とも)の祓などの神事に舞われるもので、原句はその折の所見のようです。神楽の中に〈巫女舞〉と呼ばれるものがありますから、これはその状景を詠まれたのでしょう。舞台の上だけでなく、堂全体を視野に入れて捉えています。
 巫女の姿が具体的に見えてくるとよいのですが。「ふんわりと」(歴史的仮名遣いでは「ふんはり」)ではまだ弱い。どんな動きがあるでしょう。手を広げたり摺り足だったり、さもなければ〈採りもの〉と呼ばれる持道具を描く方法もあります。錫杖とか鈴木と称して丸棒に鈴の付いた採りものならば、

《添削Ⅰ》

  鈴振つて神楽の巫女や堂涼し

 上五に動作を入れましたのでなおのこと、「舞ふ」は蛇足になります。〈神楽の巫女〉で充分でしょう。
 次に、巫女の姿だけに焦点を当てるのなら、

《添削Ⅱ》

  巫女舞の袖の涼しくひるがへり
  巫女舞の袖広げたる涼しさよ


なども考えられます。




《原句》②

  「水無月」の和菓子三角夏やせす

 〈水無月〉は陰暦六月の異称。和菓子「水無月」の名はここに由来しています。
 これに限らず、和菓子の名には季節感に溢れたものが多いのはご承知の通り。
 京都の和菓子屋さんがこの「水無月」について詳しい由来書きを出していますが、かいつまんで申しますと、六月晦日の夏越の日にはこの菓子を食べるそうです。六月三十日はちょうど一年の折り返し、半年間の罪や穢れを祓って残り半年の無病息災を祈願する神事が夏越の祓です。
 外郎(ういろう)生地に小豆を載せて三角に形取られた「水無月」の、小豆には悪魔祓いの意味、そして三角形は氷を表すといいます。昔は氷室で保存された氷を口に出来るのはごく限られた人々でした。これを食べれば暑気を払い、夏痩せしないといわれても庶民に手の届く筈もありません。そこで氷を模した菓子が作られたということのようです。
 原句の下五で「夏やせす」とあるのは、前述の由来を念頭に置いてのことでしょう。下五を「夏祓」とするか迷われていました。
 いずれにしても原句は、この菓子の形状と意味を伝えようと一生懸命なあまり、一句の膨らみに欠けてしまっています。あれもこれも言い尽くそうとするより、「水無月」という名前に興趣を覚えた、そこを大事にしてみましょう。三角形ということは知る人ぞ知る、とこの場合は放念いたします。

《添削Ⅰ》

  菓子の名に「水無月」とあり夏祓

 行事を離れて、菓子だけで勝負するなら、

《添削Ⅱ》

  菓子の名の「水無月」という涼しさよ




《原句》

  くま蟬の合唱杜の堂ゆらぐ

 「堂」は神仏を祀る建物のこと。深い木立に囲まれているのでしょう。シャーシャーと耳を(ろう)せんばかりの蟬の声に、堅牢な御堂といえども揺らぐほどに感じられた、との句意です。
 「合唱」の語は、〈虫の合唱〉というように日常的によく使われますが常套的な言葉ですから避けておきましょう。
 熊蟬は怖ろし気な名の通り、日本最大のセミ。四、五センチの大きさです。その印象からすれば御堂もさぞや揺らぐだろうと納得したくもなるのですが、この対比は少々狙いが見えすぎるようです。実感ではありましょうが「ゆらぐ」と言いきったところを抑制して比喩にしておくと
  堂揺らぐごと熊蟬の鳴きしきる
となりますが、これでもまだ大仰な感が残ります。
 蟬時雨に耳を奪われていると、眼前の御堂が本来とは違って見えてくる、というのが把握の焦点ですから、その点を生かして無理のない表現にしたいものです。一案として、

《添削》

  蟬しぐれ御堂小さくなりにけり

 固有名〈熊蟬〉を消して、鳴き声だけを表出しています。〈揺らぐ〉に換わる言葉はいろいろ考えられます。取り敢えず〈小さく〉としましたが、他にもふさわしい語を工夫してみて下さい。




《原句》④

  仙台みやげは軽きお麸なり麻のれん

 先般の東日本大震災で東北地方は甚大な被害を受けました。海岸部はその影響をもろに蒙って旧に復すにはまだまだ時間が必要でしょうが、何とか通常に戻したいという地元の人々の努力と願いが実を結び始めているようです。観光受け入れも積極的に進めていると聞いています。
 作者は仙台を訪れて、この地の名産品のあれこれを土産物店で選ばれたのでしょう。
 上五中七の、事実のリアリティがこの句の面白さです。「麻のれん」が取って付けたように置かれていますが、おそらく店の入口にでも掛かっていたのでしょう。この部分は一句の中での役割としては効果を及ぼしていません。となると、これに替わる何かを考える訳ですが、この句のように一つのフレーズが出来上がっていて、付け加える季語を捜すのは案外むずかしいのです。付きすぎても離れすぎても駄目、何を手がかりにするか。幸い、原句には「仙台」という地名がありました。土地に対する挨拶のこころが出るのが最良かと思います。風土の美しさや土地人の心柄を懐かしく感じとれるような言葉、もしくは旅人としての風懐が滲むような言葉がないものでしょうか。

《添削》

  涼しさや仙台土産の軽きお麸


 挨拶のこころを〈涼し〉に托しました。これには先例があります。芭蕉の、
  五月雨を集めて早し最上川
の句の初案は、
  五月雨を集めて涼し最上川
でした。「奥の細道」の旅の途次、出迎えてくれた大石田の人々との句座で出されたのが初案。その後、舟下りを体験してから成案に改められたものです。この時の〈涼し〉には、土地の人への挨拶の意がこもっています。
 さてそこで、添削をもう一ひねりして、
  涼風もお麸も仙台土産なり
という形も浮かびました。こちらには少々遊びごころが加わっています。




《原句》⑤

  新海苔を干すや浦曲の曇りぐせ

 「浦曲」は〈うらわ〉と読みます。海辺の曲がって入りこんだ所をいいます。照り曇りの定まらぬ天候を背景に新海苔を干している海浜の状景が、こなれた表現で詠まれた巧みな作です。
 〈新海苔〉は冬の季語。従ってこれは冬の句ということになります。
 海苔簀を何十枚も干し並べた浜の風景は海の生活感に溢れています。対照的に思い出す夏の風物詩としては〈天草干し〉がありますが、こちらは道具を使わず、じかに天草を浜辺に拡げていきますから、海苔の場合よりももっと素朴な印象があるものです。
 季節はともかくとして、原句はこのままで充分出来ています。




                (c)masako hara

              







前へ 次へ     今月の添削教室  HOME